「て〜んちょ〜」

「のわっ」

 今日は凄く早く目が覚めたわけで。

 開店時間まではかなりあるが、たまにはやるかと店の前の掃除をしていたら、突然誰かが背中に圧し掛かってきた。

 思わず反動で箒とちりとりを落としそうになるが、根性で踏ん張る。

 それにしても、一体誰が……。

 ……とは思ってみるが、俺の知り合いで、なおかつこんなことをしてくる人といえば一人だけ。

「おはよう、さっちゃん」

「はいっ、おはようございます店長!」

 そう、川中島里美。通称さっちゃんだ。現在は俺が店長を勤めるネットカフェ『バイナリィポット』のウェイトレスとして勤めてもらっている。

 同時に、俺の恋人でもあったりするのだ。色々あって付き合うことになったのだが、ここでは端折る。

 閑話休題。

「今日は早いんだね」

 さっちゃんを背中から降ろしてガラス越しに店の時計を見ると、まだ開店時間まで一時間はあった。

「はい、なんだか目が覚めちゃって」

「そう」

 短く返事をして、作業を再開する。

「むー、店長。愛がないですよ、愛が」

「愛?」

 箒でゴミをかき集めながら応える。

「そうですね―――、そう、例えば……」

 がしっ。

 突然顔を掴まれて、さっちゃんの方へと顔だけ向けさせられる。

「ち、ちょっと、さっ……?」

 そこで言葉が強制的に中途終了。さっちゃんの柔らかな唇が、俺の唇に当てられている。

「……おはようのキスとか、ですよ」

 さっちゃんはふふっ、と笑って、してやったりと言っているような笑顔を浮かべた。

―――やられた。今のは完璧な不意打ちだ。

「ったく、さっちゃんには敵わないな」

「ふふっ、店長、まだまだ甘いですよ」

 店の前で、しかも人通りがあるところで、平気でこんなことが出来る。その点では、俺はさっちゃんを凄いと思う。

「それじゃあ、一足お先に中に入ってますね」

「うん、それじゃあ今日も一日よろしく」

 さっちゃんは嬉しそうに「はいっ!」と、それでいて元気よく頷いて、店の中へと姿を消した。

「……俺も手早く終わらせるか」

 今日もいい日になるかな、と根拠がない確信を抱きつつ、俺は再び目の前のゴミへと立ち向かった。

























 After The "Binary"


























「お会計650円になります。はい、650円丁度頂きます。ありがとうございました」

 優希の澄んだ声が響くと、サラリーマン風の男性が扉を開け、外に出て行く。

「ふーっ」

 同時にその客で一段落つき、店の中は一時閑散となった。

「お疲れ様です店長」

「ああ、さっちゃん。お疲れ」

 フロアでてきぱきと動き回っていたさっちゃんが労いの言葉をかけてくれた。

 うーん、充実感。店長バンザイ。

「よーいち、お茶いる?」

 と、今度は優希が声をかけてくる。

「あっ、あたしやりますよ」

 お茶を淹れようとした優希を制し、さっちゃんがそんなことを言い出した。

 その言葉に、俺は少々の恐怖を覚える。

 説明しよう。

 さっちゃんこと川中島里美は、親友のなっちゃん曰く「料理が少しだけ苦手」らしい。

 腕前は悪くない。が、問題は彼女の味覚にある。

 例えるなら、砂糖100グラムに黒砂糖を100グラム。それを混ぜたものにグラニュー糖をたくさん。とどめにハチミツやら練乳やら。

 そのくらいに彼女の味覚はアレなのだ。

「それじゃあしばしお待ちを」

 ばたん。

「……あれ?」

 いつのまにかさっちゃんはお茶を淹れにフロアを去っていていたりした。

「別にいいんじゃないの、よーいち。お茶淹れるぐらいなら」

「いや、そーなんだけど」

 心配である。

「それじゃあ私は食器とかの片付けでもやってくるから」

 優希はそそくさとフロアを後にし、キッチンへと移動していく。

 しかしその魂胆は見え見えで、その証拠に「骨は拾ってあげるよ」と彼女の瞳は語っていた。

「お待たせしましたー」

「あ、ああ、うん。ありがと」

 出された湯飲みを手に取り、慎重にお茶をチェック。

 ……外見的に異常はなさそうだ。

 ず。

 観念してその中身を口に流し込む。

「……おろ?」

 普通のお茶だ。普通に旨く、普通に熱い。

「あれ? 店長。どうかしましたか?」

「えー、あー、いや。お茶が美味しいなぁと。ありがとう、さっちゃん」

 いやはや、意外である。どうやらなっちゃんの教え方がいいようだ。

 となると、これからも安心である。まる。

























「またお越しくださいませー」

 最後の客が店を出る。時計の針は9時少し前を指していて、閉店にはちょうどいい時間だ。

「それじゃ今日はここらで閉店にしようか」

「はーい」

「お疲れ様ですー」

「お疲れ様です、店長」

「うん、みんなもお疲れ様」

 みんなに労いの言葉をかけて、自分自身も深呼吸を一つ。

「さっちゃんもお疲れ」

「あ、はーい。お疲れ様ですー」

 さっちゃんはにこにこと微笑むので、俺もにこにこと笑顔を返す。

「熱いー熱いよー、なっちゃんどうにかしてよー」

「え、あ、その、仕方ないんじゃないかと思います」

 ……こやつらは。

「てんちょー、一緒に帰りましょー」

 しかしさっちゃんはそんな二人の様子にかまけることなく、「一緒に帰りましょう」光線を全身から発している。

 後ろからは二人のひそひそ声が聞こえる。

「そうだね、帰ろうか」

 だけど俺は負けなかった。うん、やはし彼女は家まで送らなきゃね。

「送り狼にならないようにね、よーいち」

「なるかっ!」

 優希に向かって大声を張り上げ、俺は着替えのためにフロアから出る。

「それじゃあさっちゃん、ちょっと待っててね」

「は〜い」

 さっちゃんは天使の微笑みで、元気よく返事をした。

























「あのですね、一つ疑問があるんですよ」

「え?」

 帰り道、さっちゃんが突然そんなことを言い出した。

 なんだろう、と俺は考え込む。さっちゃんの視線が本気のものだからだ。

「なんで店長があたしのことを名前で呼ばないのか」

「はい?」

 いろんな考えを巡らせていたら、さっちゃんは拍子抜けのことをその愛らしい口から紡いだ。

「だっておかしいですよー、あたし達らぶらぶなのにー」

 ああ、そんな恥ずかしいことを堂々と。ああ、案の定道行く人(少ないけど)がこっちを見てるよ。

「いや、なんかね。さっちゃんの方に慣れすぎてしまったというか」

「駄目です、ちゃんとこれからは名前で呼んでください。悪しき風習は看破するものです」

 いや、悪しき風習なのか? それって。

「それじゃあ、こうしましょう。あたしも、店長じゃなくて『洋一さん』って呼びますから」

「あのね、そういう問題じゃ……」

「洋一さん♪」

 あ、さっちゃんノリノリ。

 仕方ない、ここは……。

「……里美」

「はい? 声が小さくて聞こえませんよ?」

 さっちゃんはにこにこぷんな笑顔で俺の顔を覗きこむ。

「だから、里美!」

「はい、なんですか? 洋一さん♪」

 やけになって名前を大声で呼ぶと、さっちゃ……里美は、本当に嬉しそうに応えてくれる。

 ……あ、やばい。今不覚にもときめいた。

 死語を使ってしまうほどに俺は狼狽しているらしい。

「はいっ、また一歩前進」

「?」

 ぴょこん、と里美が俺の一歩前に出る。そして俺を真正面から見据え、

「これからもずっとよろしくお願いしますね、洋一さん♪」

 見ている方も嬉しくなりそうな笑顔を向けてきた。

「……そうだね、これからずっとよろしく、里美」

「はいっ」

 ほんのりと赤く頬を染めて、里美は俺の腕に抱きついた。

「それじゃあ、帰りましょうか」

「うん」

 これからの長い時間を共に過ごすであろう彼女の存在を腕いっぱいに感じて、俺はなんだか嬉しくなった。

 里美は料理だって上手くなる。味覚にやや難はあるが、それも乗り越えていけそうだ。

 ……まぁ、乗り越えるのは俺だけなんだけど。

 取り敢えずは、今のこの時間を、二人でめいっぱい生きていこう。
































終わり






 後書きんぐ



 バイナリィポットというゲームを皆さん知っていますか?
 認知度はいまいちかもしれませんが、自分的にはかなりいけてるゲームだと思います。
 取り合えず一番最初にクリアした「川中島里美」さんのアフターストーリーを書いてみました。
 うわ、稚拙な構成だぁ(汗)。
 オーガストさまごめんなさいm(_ _)m


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