わたしは待っていた。
 桜並木の道を通りながら、またあいつと歩く日々を。
 奔走し、話し合い、談義し、落ち込んで、立ち直って。また走って、叫んで、落ち込んで、奮起して。
 どれくらいそうしていたのか。振り返ることなく、わたしは駆け抜けた。
 そして今、周囲がわたしに絶大なる期待をしている。
「……」
 立ち込める靄。
 駄目だ、考えるな。今はやるべきことがあるだろう。
 あの桜並木を守るという決意。ようやく、目処が立ってきたのだ。いまさら止まれない。
―――そうだ。
 目指す場所は遠い。わたしにはまだ、そこに立つ資格がないのだ。
 しかし、絶対にやり遂げてみせよう。胸を張って、あいつの隣に立てるように。
 桜。咲き誇る、桜。
 どんなに苦しい時も、この桜を見れば、安らぐような。そんな気がする。
 この素晴らしい風景を消してはいけない。
 それがわたしの公約。そして、不退転の決意。桜色に彩られたこの道を守ることこそ、あいつの言葉に報いることが出来る唯一の術なのだ。
 だから、それが果たせたなら。
 言えるだろう、変わらないこの想いを。



 季節が移り変わって、紅葉が舞う頃。一度だけ、朋也と廊下ですれ違った。
「とも―――」
 言いかけたものの、わたしは「や」と言い切れなかった。
 朋也はわたしを見ようとせず、そのまま通り過ぎていってしまった。
―――そうだ。
 今のわたしたちの関係は一般的な男女の関係ではない。
―――わたしたちは、別れたのだから。
 胸の奥が苦しい。メガネ越しの世界がぼやけて見えてくる。暗転しそうになる視界。
「……っ」
 踏ん張った。それでも苦しさは消えない。
 好きな人が近くにいたのに。何気ない会話を交わせると思ったのに。嫌われても、無視されていてもかまわない。そばにいられればよかったのだ。しかし、今はその背中、はるか遠く。
 なんて―――遠いのだろうか。
「会長?」
「……あ、ああ、すまない」
 会計の子に声をかけられて引き戻される。急速に、世界は正常へと。
「どうかしたんですか? 呆けていたようですが」
「ああ……、まったく、その通りだ。すまない」
 不甲斐ない。
 わたしは決めたのではなかったのか。邁進すると。突き進むと。
 約束を違うことなく、果たしてみせると。
「さて、早く行こう」
「あ、はい」
 そう考えると、少しだけ足取りが軽くなった。
 「頑張れ」、
 朋也の声が聞こえたような気がした。



 秋はあっという間に過ぎ去った。ちらほらと雪化粧が舞う頃。
 わたしはやり遂げていた。
「……ああ」
 自分でも呆けているのがわかる。けど、去来する過去や、今までやってきたことが一斉に芽吹いたのでは、自分でもどういったアクションをとればいいのかがわからない。
 万感の想い。
―――代償は、果てしなく大きいな。
 憂鬱到来。嬉しさは影を潜める。はぁ、とため息も出てしまうわけで。その息は白く輝く。
 ああ、そうか。冬、なんだな―――。
 数えて、八ヶ月。長すぎる空白の時間。わたしはがむしゃらに頑張り、目的は現実になった。
「これでよかったんだ」
 自分に言い聞かせて机を離れる。もうやるべきことは、ひとつとしてない。
 花瓶に活けられている花束を見やる。副会長は、自分が持ってきたものだと言った。しかし、本当は。
「まったく」
 それはどっちに相応しい単語か。どっちと言わず、たぶん、両方なのだろうが。
 この花は朋也が持ってきたものだという。会計の後輩曰く、副会長の陰謀に負けないでくださいね、とか。
 花はそんな複雑な人間関係なんて知ったこっちゃないと言わんばかりに咲いていた。



 春になれば、あの道は桜で覆われる。それはそれは、とても幻想的で。生徒会に入る前のわたしは毎朝桜を見上げては、切らせてたまるか、切らせてたまるか、と。一生懸命に思っていた。
 そして、春原に因縁をつけられて。ついてきた朋也は、単なる暇つぶしで。
 でもあの二人と馬鹿をやっていた時は、本当に楽しかった。春原がつっかかってきたことは今でも迷惑だと思っている。けど、それも馬鹿のうち。
 朋也はわたしが荒れていたことを知っていたが、恐れこそしないし、逆に遠慮なくぶつかってきた。そうだ、昔の自分に拘っていた坂上智代こそ、本当の馬鹿ではないか。
 わたしはいつのまにか朋也を絶対的に信頼していた。過去の出来事、それに由来する今のわたし。彼の家の事情を知った、わたしの家のことも話した。ひどく、悲しかった。
 わたしが生徒会長になっても、朋也は変わらず付き合ってくれた。いつもわたしのことを考えて行動していた。
 そして、思うあまり。
 彼はわたしに別れを告げた。
「はぁ」
 でも。



 雪が積もる。踏みしめて歩く。校門を越えて、すっかり白くなってしまった桜を背景にして、わたしは立つ。
 もしわたしが生徒会長を辞めても桜は切られないだろう。市議会ははっきり、「絶対に切らない」。そう言ってくれた。信頼に値すると思って、わたしはありがとうございます、そう言って頭を下げた。
 信頼。昔の自分には似つかわしくないもの。今となってはなくてはならないもの、必要不可欠になった。
「それにしても、本当に寒いな……」
 勝手に待っている身分なのに、それはないだろう。自分でもそう思う。でも、きっと、もうすぐ来る。
 わたしがあいつをまだ好きなように、あいつもわたしを、きっとまだ好きでいてくれている。
 根拠はない。でも信じられる。
 雪の花を咲かせた、桜並木の道の上で。わたしたちは邂逅する。



 冬の寒気もどこへやら、すっかりと暖かくなった。
 そして。
「ほら、鷹文」
「うわぁ、すっげー」
 わたしは三年生になった。そして、弟の鷹文が晴れてわたしのいる学校へと入学を果たした。
「これ全部ねぇちゃんが守ったんだよね? すごいや」
「い、いや。わたしはそんな大したことは……、って、鷹文、なんで知っているんだ?」
「にぃちゃんが言ってたよ」
「……」
 少し。いや、かなり、恥ずかしい。事実には変わりないが、そんな立派な動機ではない。
 ただ、この桜を見てもらいたかっただけ。弟、そして、この町のみんなに。
「よう」
 そこへ呑気な声。それは作業服を着た、わたしの好きな人。
「あ、にぃちゃん」
「ああ、頼れるにぃちゃんだぞ」
 あやしいものだ。
「っと、時間大丈夫か、ふたりとも」
「あ」
 声がユニゾンする。慌てて腕時計を見ると、本鈴まで数分しかない。
「急ぐぞ鷹文! わたしがいながら入学三日目で早くも遅刻なんて許さないからな!」
「それはねぇちゃんも一緒だろー! あ、じゃあねにぃちゃん、またあとで!」
「おう、しっかり勉学してこいよー」
 と。
「鷹文、先に行っててくれ」
「あれ、どうかしたの?」
「野暮用だ。大丈夫、すぐ追いつくから」
「……あぁ、そういうことね」
 なぜかにやにや笑う我が弟。―――感付かれている。
「じゃあ、行ってるね」
「ふ、覚えてろよ鷹文」
 にらみを効かせると、鷹文は脱兎のごとく駆けていった。あれで、事故により重傷だったなんてことは、とてもじゃないけど信じられない。
「智代、どうかしたか? 早くしないと遅れるぞ」
「ん、ああ、ちょっとな。すぐ済む」
 躊躇している暇はない。わたしは、鞄を開いた。
「ほ、ほら、お弁当だ。恋人のために作る弁当、女の子らしいと思わないか?」
 回らなくなりそうな呂律をなんとか押さえつつ、お弁当を差し出す。
「ああ、ありがとな、智代。ありがたく頂戴するよ」
 朋也は笑顔で受け取ってくれた。
「んじゃ、俺、行くわ。今日も元気に労働してくる」
「ああ、行ってらっしゃい」
 駆けていく朋也。その姿はみるみるうちに小さくなっていっていく。
「さて、わたしも」
 地を蹴った。



 さくら、さくら。さあ、いざ舞い上がれ。
 永久に咲き乱れるべく、眩しい光を浴びて。
 だから、いつか、またこの場所で会おう。
 桜、舞い散る道の上で。