『人生五年、夢幻の如くなり』。
 織田信長が最後に残したという、人生の儚さを謳った有名な言葉の一部分。
 人生五十年とは長いのか短いのか、判断がつきにくい。しかし現在、日本の平均寿命が九十近いことを考慮すると『やや短い』と思えなくもない。これはあくまでも僕個人が今し方考えたついたことだが。
 夢幻の如く、という表現は、死を覚悟した表れだろう。無念さがインクのように滲み出ている。まだやりたいことがあったのだろうが、それが何なのかは数百年が経過した現代では分かるはずもない。
 『うつけもの』と呼ばれた信長が後世に残したものは『天下統一』の夢であり、それは豊臣秀吉や徳川家康が、方向性、思惑は違えども、実現することとなる。今では日本という一つの国家になり統一されてはいるものの、内外問わず問題だらけだが。
 先人が見たらむせび泣くこと間違いなし。不甲斐ない、と。

「以上のことを踏まえて、君はもっとやる気を出すべきだと思います。『そっち』の方がカッコイイと思ったら大間違いです」
「えー、固いこと言わないでくださいよ部長ー。最近はダウナーっぽくやるのが流行なんですからー」
「そんな出たと思ったら消えていくワニのようなものなんて追い掛けてないで、腰を落ち着けなさい。ただでさえ君は担任の先生から『もっと落ち着きなさい』と通知表に書かれているんだから」
「なっ、なっ、なんで知ってるんっすかっ!?」
「やっぱり書かれてんだ。当てずっぽうだったけど、いやはや、僕も捨てたもんじゃないな」
「ぐっ、ぐうっ、こっ、このやるせない怒りはどこにぶつければっ」
「部活にぶつけるべきだ、部活に」
「めんどいっすよ部長ー」
「……何の為に君はこの部に入ったのか?」
「だれる為です!」
「そんな堂々と言うな!」

 「当ててください」とアピールしていそうなそのデコにピンポン球を投げつける。自分でもナイピナイピーと称えたくなる軌道を描いて、球は命中した。

「あいたっ」

 良い音だ。
 ピンポン球は額に当たると、そのままゆるゆると宙を舞いはじめる。

「すいませーん、遅れましたー……っと」
「うむ、ナイスキャッチ」

 長い髪を引き連れて部室に入ってきたのは、我が部のナンバー2である。両手にピンポン球を乗せたままこちらへと近付いてくるその様子は、ボールを銜えて帰ってくる犬のようだ。名前はポチもしくはチョイ悪。後者はなんともタチが悪い名前だと我ながら思う。

「聞いてくれよ白間。この宮戸と来たら、やる気も無いのにこの部に入ったとかふざけんなバーローなんだ。どういった処罰が必要なのか一緒に考えよう」
「それはいけませんね。『おいた』をする子はちゃあんと躾けないと、社会に出てから困ったちゃんになりますから」
「何だとこのヤロー! 人を子供みたいに言うなー!」
『…………』
「憐憫を含んだ眼で見るな! だからってジェスチャーで表すなっ! 『やれやれ』って顔するなーっ!」













 宮戸都。一年一組所属。出席番号十五番。保健委員。身長152センチ。デ娘。
 白間六美。一年七組所属。出席番号十番。学級委員長。身長1.6メートル。眼鏡娘。
 そして僕、桜井宗一。一年二組所属。出席番号四番。図書委員。身長1770ミリ。平々凡々。
 単位がバラバラなことに他意はない。僕の趣味である。
 この部はやりたいことがたくさんある青春時代をいかに有益に過ごすか、をコンセプトに三ヶ月前、僕が一人で立ち上げた学校非公認のものである(部室は担任を言い包めて、使っていない部屋を借りている)。そこに、どこから嗅ぎ付けたのかは知らないが(友人にも秘密にしていたのに)、面白そうですねと賛同してくれた白間が入った。その一週間後ぐらい後に白間と二人で、もちろん卓球部には内緒で卓球に興じていたところ、白間が隙間から覗き見ている宮戸に気付き、引きずり込んだ。そのままなし崩し的に加わることになるのだが、特別嫌がっている風ではなかったのが救いか。無理矢理はそそるシチュエーションだが……じゃなくて。
 今では「色んなことをして遊部」になっているが、まあ、それはそれで青春を謳歌している感じなので結果的にはオーライなのかもしれない。肝心の部の名前はいまだ決めかねているが。つーか学校に申請出しても活動内容がコレでは通らない気がするので、現状維持が好ましいだろう。きっと僕が卒業して廃部になっても、第二、第三の僕が現れて志を無意識に継いでくれるに違いない。

「というわけで今日はサンマーでもやろうか」
「あら、いいですね。麻雀なんて久し振りです」
「ふっふっふ、部長に六美っち。こう見えてもわたしはやりこんでますぜ?」

 そういうセリフはプレー中に言ってこそ強敵に見えるもんだが、冒頭で言ってしまうと解説キャラになってしまうのがネックである。でもそれを言わないのが僕らの優しさだ。
 ……まあ、それが真実かどうかはやってみないとわからないけど。

「起家どーする?」
「部長でいいんじゃないですか?」
「異議なーし」













「それロン! 一発タンピンイーペイコー!」
「なっ、なにぃ」
「あ、すみません。ロンです。ホンイツでイッツーです」
「……わっほぅ」

 序盤は優勢に進めていた僕だったが、徐々に彼女達の勢いに圧され始め、今では箱の中身が可哀想な事になっている。泣いてなんかいない。
 それにしてもサンマーは早上がりが基本であるというのに、こやつらは高い手を組んでくるから困る。けして僕が下手なわけではないと信じたい。
 さて、打ち癖でも見抜かれたのか、積まれてるのかはわからないが、いやはや解説役は僕だったか。

「ふっ、部長、背中が煤けてますぜ」
 ……前言撤回。意地でも負けるわけにはいかない。つーかこやつにだけは負けてたまるかてやんでぃ。
「あらあら、部長って意外に熱血なんですね」

「限定的なところでのみ負けず嫌いなのです、……あ、それロン」

 自分の打ち筋を客観的に見つめ直し、意図的に変化させた。するとあら不思議、あっさりと当たりが放り込まれた。どうやら、筋を見切っていた線で確定のようだ。

「ギニャー!? し、しかしこの点差をひっくり返すにはそんじょそこらの一般役じゃ足りないっすよ部長!」
「ほい。スーアン単騎」
「なんとぉー!」

 両腕を天に突き出し固まってしまった宮戸は何やらブツブツ呟いているが、これでハコテン確定である。フヒヒ、ざまあみさらせ。

「やっぱりそれが当たりだったんですね。出さなくて良かったです」
「……あの、白間さん。ひとつお聞きするのですが、ちなみに貴女様は何の役でしたでしょうか?」

 ニコニコ。ニコニコ。
 そんな擬音すら聞こえてくる程眩しい笑顔の白間であるが、僕にはそれがプレッシャーにしか思えないから不思議だ。

「はい、チューレンテンパイです」
「…………あれ、これって僕が捨てたので和了れるよね」
「はい。でもあのまま終わらせるのもつまらないじゃあないですか。部活ですから、楽しく長く、ねちねちと、ですよ。まあ、部長がスーアンコーとは思いもしませんでしたけど」
「ひぃっ、恐ろしい子やっ!?」













 前に一度だけのことだが、白間と宮戸がそれぞれ他の部に勧誘されている風景を見たことがある。どちらの時も何を言っているのか聞こえはしなかったが、なぜか宮戸は怒っていて、白間は凍てついた視線を勧誘者に向けていた。

「あー、部長見てたんですね。わたしったら運動神経は悪くないもんで、バスケ部に誘われたんですよ」
「わたしは科学部でした。なんでも『君の頭脳が必要なんだ!』とか、引きたくなるような剣幕でした」

 それじゃあなんで怒ったり冷ややかになったりしてたのか?
 その問いには、両者とも「あははー」と笑って誤魔化していた。わけがわからん。
 まあ僕がその勧誘者たちだったとする。これだけの逸材を帰宅部(勧誘した部ではそう思っているのだろう)で埋もれさせるのは勿体無いと心底思うに違いない。確かに宮戸の運動神経は目を見張るものがあるし、白間の観察力や洞察力、頭脳は凄まじい。
 そして部長である僕。この前の期末試験は337人中163位。体育の成績は5段階評定で3。可もなく不可もない。容姿端麗ってわけでもなし。口が回るわけでもない。一心不乱に打ち込める、これってものもない。
 ……あ、なんか凄い悲しい。

「ああっ、ぶ、部長の背中に哀愁がっ」
「元気出してください部長。人の価値はそんなものじゃ計れませんから」

 見抜かれてるし。ぐすん。













 とある日曜日、パンを床にぶちまけてしまったので、それを千切って鳩に配ることにした。
 昼前の公園は閑散としていて、僕がまだ小さかった頃とは雲泥の差だ。当時は朝早く起きてなんとかレンジャーとかなんとか戦隊を見、朝ごはんを食し、公園で友達とサッカー等に興じたものだ。しかし今やインドア派の魔の手がここまで迫っている。おいたわしや。

「さて、我が生贄となるピジョンちゃんたちはどこだろうな」

 とは言うものの、奴らが固まっている場所は決まってベンチの前である。平日はおじいちゃんとかおばあちゃんとかが座って餌を撒いているので、そこが定位置になっているのだろう。人が来ても逃げず、むしろ寄ってくる。飼い慣らされると本能すら駆逐されるのかもしれない。げに恐ろしきは人の業。

「部長、餌撒かないんすか?」
「うーん、どうしようか。これ以上懐かれても美食家を生むだけかもしれないし……」

 くるり。振り向けば笑顔の宮戸。……いつの間に。

「休日に一人、鳩に餌を撒くってすっげー枯れてますよね」
「か、かかかかかか枯れてませんっ!?」
「でも、見てて寂しい背中だなあって思いましたよ?」
「へっ、どーせぼかぁ悲しいロンリーウルフさ! 休日に一緒に過ごす甘ったるい関係の異性もいねーよウワーン!」
「ぶ、部長が壊れたっ」
「まあそれはどうでもいいとして」
「いいんすか? やっぱ枯れ「うん、どうでもよくはないけど今は置いておこう」……そういうことにしておいてあげるっす」

 宮戸の優しさは僕をきりきり締め上げる。普段の仕返しだろうか。仕返しされるほどいじった覚えもないのだが。

「宮戸はなんでここにいるの? 君も人のこと言えないんじゃなかろうかと思うのだが」
「今日は六美っちと待ち合わせっすよ。昼過ぎにここで。でも遅れるといけないんで、早めに来たってわけですわ」
「……はて、まだ一時間以上あるような気もするが」
「ぎく。……ま、ま、まあそんなことはいいじゃないっすか、どうでも」
「そうか、いつもは待ち合わせをしていても時間通りに行けた事がないんだな。宮戸らしい」
「なっ、なんだってー!? こ、このエスパー部長めっ! 本物の鈍い部長を何処へやったー!」
「フハハハハー、知りたくばこの僕を倒してみよー」
「おーのーれー!」













「ほーら餌だぞー。三回まわって私は豚ですと言えー」
「そーらそーら。餌が欲しくば跪け愚鳥どもー」

 不穏当な単語だらけの言葉と共に、パンくずを撒き散らす。片付けが発生しないのが救いである。
 群がる鳩を見ていると、なんか自分が教祖になった気分になる。でも相手が鳥と言う現実は厳しく、一瞬で目が覚めた。

「しっかし休みの日にもいつもどおりに活動するとは思いもしなかった」
「部長がわたしをいじめるからっすよ」
「あれは愛情あるコミュニケーションと呼ぶべきだ」
「愛情を感じたことが一度もないのですがー」
「それは君の心の目が曇っているからです。僕から心の目を5000円で買うべきです」
「微妙にセコい金額!?」
 いちいち反応してくれるので、宮戸と話していて飽きが来たことがない。ドライで内面まで塗り固められた今の時代では貴重な存在である。

「もうそろそろ昼過ぎだけど、白間来ないな」
「あ、そういえばそうっすね。どうしたんだろ」
「……あ、って君。友情はどうした友情は」
「あ、あははは……、特別に楽しい時間を過ごしてると、うっかり忘れちゃうこともあるんすよ」

 はにかみながら宮戸は言った。思わずからかいの言葉が引っ込んで、喉に詰まった。
 楽しい、ねえ。そう臆面もなく言えるのは凄いと思う。僕だったら、きっと恥ずかしがって言えない。言ったとしても、聞こえないぐらいボリュームを落としてしまうだろう。
 どうしたものかと軽く悩んでいると、宮戸がいつの間にかベンチから立ち上がっていて、鳩の群れの中心に佇んでいた。こっちを見ている。

「……前、部長に何の為に部に入ったのかって聞かれたことがありましたよね」

「ああ、だれる為って言われたっけ。まったくけしからんな君は」
「あはは。その時はそう答えるのが精一杯だったんっすよ」

 宮戸が何を言いたいのか、言おうとしてるのか、さっぱりわからない。僕は「へえ」と反応するので今は精一杯だ。

「わたしはっすね、部長。『楽しい』が好きなんですよ。『楽しい』ことは誰だって好きだし、それがずっと続くならどんなに素敵なことかって思ってるんです。
 覚えてますか? 以前、部長が一人で花壇を作った時のこと。もしかしたら部長は忘れてるかもしれないけど、わたしははっきり覚えてるっすよ」

 過去の活動を思い返してみると、そーいや、ぽつんと一つだけ空いている丁度いい大きさの更地があったんで、そこに花壇を作ったっけ。最初はどうしようか迷ったけど、これもまた一種の青春の過ごし方と自分を納得させて、最後の方はノリノリだった気がする。誰にも見られていないと思ったが、不覚。

「わたしはその頃、自分が何をしたいのか考えてました。運動神経がそこそこいいもんで、何でも出来る反面、何をしたいのか全然わからなかったんす。ひとつの事に打ち込む自分の姿が想像できなかったってのもあるけど。
 今は色々なことをやって、心から楽しいって思えてます。だから部長と六美っちには感謝してるっすよ。いや、まあ、部活動って種類に位置づけると、今の自分はひとつのことに打ち込んでるって解釈になるので、まあどちらにしても感謝感激っす。まさか自分が、って、良い方向に行けたんですから」
「……そ、それはどうもありがとうございます」
 こう、面と向かって言われると気恥ずかしい。僕はただ三人で楽しく色々なことをやってきただけで、まさか宮戸がここまで考えてるなんて思いもしなかった。

「ずっと三人でわいわい出来るのが一番良いんですが、そこまでうまく事が運ぶほど、人生も甘くないっす。いつか、三人ともそれぞれ別の道を進んで、離れていくんだろうなぁ……そう考えると、すごく悲しい気分になるんです。
 花壇を作り上げた部長の顔は、凄く楽しそうでした。こんな風に笑える、楽しめる人はどんな人なんだろう? どうすれば何でも楽しくやれるんだろう? 不思議っすよね、人間って考えれば考えるほどわからなくなっていくんです。
 だからわたしは決めました。難しいことは考えないで、この人と一緒にいればわかるかもしれないって。それが理由です」
「……ということは、あそこにいたのも偶然じゃないと」
「すみませんっす部長、確かに偶然じゃありません。友達とかに聞いて、クラスと名前を突き止めて、可能な時は付いて回ってました。でも、中々声をかけられなかったんすよ。ほら、乙女の純情という、それはもう厄介な代物を搭載してますんで。六美っちに見つけられたのは偶然ですが、そのままなし崩しでいけたのはラッキーと思いました」
「ストーカーさんだ」
「ストーカーさんですね。でも女の子に付いて回られるってのはイカすシチュエーションじゃないっすか?」
「ノーコメントで。僕のキャラはそっち系じゃないもんで」
「つれないなぁ部長はー」

 今まで翳りを帯びていた宮戸の表情がほんの少しだけ和らいだような気がした。

「まあ、ちょっと重苦しい雰囲気になったけど、そういうことなら普段どおり。入部の理由は意外だったけど、宮戸の意外な一面を知れてよかったよ」

 ぱん。手を打って、話を終息させる。
 『普段どおり』。これを僕は強調した。こちらを圧迫する予感を感じ取ったから。ここから先は、知ってはいけないような気がしたから。

「……部長には悪いんですけど、普段どおりにはならないっす。これからわたしが言う言葉のせいで」

 ほらみろ。こういう時の予感は大抵悪い方向に当たるんだ。
 まるでとびきりの土砂降りに、傘も無く遭遇したような軽い絶望感。僕は最後の抵抗を試みた。

「宮戸、それは」
「遮らせません。前置きもしません。単刀直入にはっきりと、『部長でも誤魔化せないくらい』素直に言わせてもらうっす」

 宮戸の口調が段々と熱を帯びてくる。直に感情が篭められた、人を戸惑わせるそれは、まさしく僕がちらりと頭の隅で想像した未来のひとつ。

「好きです」

 かくして、未来が作られる。

「それと、もう一つ。補足っす。六美っちと待ち合わせっていうのは、半分本当で半分間違いです。六美っち、もうここに来てます」
「……どういうこと?」
「わたしから言えるのはそれだけっす。あとは、六美っち本人から聞いてください。
 ……それでは、わたしはここいらで失礼させてもらうっす」

 そのまま宮戸はこちらを振り返らず、鳩の波を切り分け、遠ざかっていった。
 残された僕はとりあえず、乱された思考回路を落ち着けないまま、パンくずの残りをすべて鳩に向かってぶちまけた。













「……なんてこったい」

 今の僕の精一杯は、その言葉を吐くことだけである。宮戸が去ってからどれくらい時間が経過したのか。三十分か、十分か、一時間か。感覚すべてが軋んでいるのか、判断出来ない。

「わたしも、『なんてこったい』ですね。まさか都に一本取られるとは想像すらしていませんでした」

 背後から凛としている、落ち着き払った声がかかる。すぐにそれが誰なのか、想像がついた。ふと公園に設置されている時計を見ると五分程度しか経っておらず、時間の流れはあらゆる意味で残酷なようだ。

「……白間、ホントにいたとは」

 日常で宮戸が見せるあの抜けた態度やフリは、よもや演技だったのではあるまいか。そんな疑いまで生まれてくる。
 なんだか足元がざらついている様な、歪な感覚がある。地面に立っているようで実際は立ち膝をついているような、些細な違和感だ。
 僕があれこれ、自分が何を考えているのか分からないことを考えていると、白間が隣にいつの間にやら腰掛けていた。目だけで様子を窺うと、あの日見たような冷ややかな視線を鳩へと投げかけている。しかし、何処を見ているのかは、わからない。

「普段、抜けているような人はやる時はやるものなんです。反対に、そつがない人に限って、『ここぞ』でボロが出ます。あれは都の『やる時』だったんでしょう。まったく隙がありませんでした。不覚にも感心しちゃいましたよ」
「……そーか」
 では、その冷えた瞳は何なのか? その理由を僕は直後、思い知る。

「……さて」

 大きな白間の眼が僕へと向けられた。
 あれ? と脳を傾げる。
 つい最近、ごく最近、同じようなシチュエーションがあったような?

「先程、そつがない人、と言いましたが、わたしは自分のことを指してそう表しました」

 両の太腿に負荷がかかる。それが白間の臀部だと気付くのに、僕の脳髄は数秒を要した。ばくばく。心臓と繋がる血管がどよめく。
 彼女の後頭部が、見下ろせる位置に移動していた。しかし顔は見えず、どうやら僕に腰掛ける形になっているようだ。
 I am chair。I am chair。OK、僕は非常に非情なまでに落ち着いている。

「―――そして、肝心なところでボロを出す。これから、わたしは決定的な失敗をしますので、悪しからず憎からず思っていただければ幸いです」

 右手を握られると、それは前へと導かれる。前方に回されて、何かひどく柔らかい物に触れた。『それ』が『何なのか』、僕には処理することが出来ない。

「部長の心臓、すごく大きく動いてますね。でも、わたしのも同じくらい。わかりますか?」

 僕の胸板と白間の背中が触れ合っている。右手も白間のどこかに触れているようだが、今は姿無き客観性がなくては、何もかもがわからなくなってくる。まったく、人間は変なところで不便だ。

「黙っていないで、何か言ってくれないと、不安になっちゃいますよ」

 無垢な感情が篭った彼女の声は、しかしどこか退廃的な雰囲気を微小に醸し出している。甘すぎるものは毒になり得るのだから、これはもしかしたらひどく危ない展開なのかもしれない。
 そう考えてみると、急速に頭へと血が廻り始める。右手が理性を取り戻し白間の体から離れていった。掌に集まっていた緊張は消え、汗ばんだ肌に風が沁みていく。

「……ほら白間、どいて」

 まずはそこから始めなければならない。僕が促すと、意外にも素直にどいてくれた。

「残念です。崩れてくれないなんて」

 ちっとも残念じゃなさそうな白間が微笑む。その笑みは見たものを魅了する働きがあるのだろうが、僕には通じない。普段が普段だからだ。

「まったく宮戸といい白間といい、実のところ結託して僕をからかってるんじゃなかろうな」
「まさか。わたしが一枚噛んでたら、もっと凄いことになるのはわかるでしょう? 部長なら」

 ごもっとも。

「そういえば部長の手つきがいやらしかったんですが、鬼畜ですね」
「い、言いがかりだっ! そもそもあんなところを触ったら誰だって混乱するだろ!」
「はて、あんなところ? どこでしょうね。わたしが部長に触らせたのはおなかなんですが」
「……ギャフン」

 悪女だ。悪女がいる。ホホホとタカビーな笑いを振りまく様がとっても似合いそうな悪女がいる。

「そういえば、気付いてくれましたか?」
「ん?」

 突然の言葉に呆けた返しをすると、まっすぐこちらを見る白間が視界に入った。部活動や学校生活では見たことが無い、『真面目な』顔をしている。

「わたしが張った伏線に」

 瞬きすらせず、白間は僕を射抜く。
 彼女の言葉が意味することはなんだろうか。何か、なりえそうな要素があったのだろうか。

「部長が冷静に返すことも予想がついてました。しかし自分自身、これを持ち出すのは悔しいのですが、体裁を取り繕っても後れを取るだけです。腹を括ります。都と同じ事をしなければならないのは歯痒いのですが。
 ―――部長が誤魔化せないくらいに、私自身も誤魔化しが出来ないように、単刀直入に」

 しまった。気付いた時には、兎と亀の兎みたいに、僕は手遅れだった。
 白間との距離が縮まっていくと錯覚し、動揺を面に出すとほぼ同時、

「好きです」

 クリティカルヒットをくらったのである。













「あの、すいません」

 白間との出会いを語っておこう。
 入学式も終わり、あとは帰るだけだった僕は、背後から呼び止められた。これから始まる高校生活に期待を馳せていたので少し反応が遅れたが、振り返った。
 そこにはえらく眩しい笑顔を湛えた美人がいた。僕も一端の男であるので、どぎまぎしたことを覚えている。
 彼女は表情を崩さず、こう言った。

「すいません、腕時計を紛失してしまって。一緒に探して貰えませんか?」

 ここで潔く返事をするのが高校生の当たり前の反応だろう。こんな美人に頼まれごとをされているのだから。
 しかし僕は何を思ったのか、考えたのか。はたまた疑問に思ったのか、それとも全部か。脊髄反射に近い早さでこう返したのであった。

「んー、トイレ、もしくは教室じゃないですかね」

 そして、当然彼女は目を大きく見開いた。そりゃそうだ。頼み事をしている相手が遠回しに拒否するような言動をすればそうなる。
 しかし拒否の意味合いではなかったことを、次の言葉で付け加えた。

「女の子なら防水加工とかストップウォッチとか、そんな物より外見を重視します。おそらくキャラ物の時計でしょう。んで、トイレに行かない人間はいません。手を洗う時に外してそのまま忘れた可能性があります。

 あとは友達と世間話をしてる時に、腕から外して見せ合う。そして机の上に置いたまま放置。こっちの方が濃厚です。見たところ、あなたは友達が多そうですし」

 つらつらとそれっぽく説明をしてみせたが、思い返せばその日は友達と服を買う予定が入っていたので、早く帰りたかったのが一番の理由なのかもしれない。男らしくなさすぎて泣ける。

「……そうですか」

 あれま、怒ったかな。つーか怒らない奴はいないか。
 名前も知らない同学年(リボンの色がそうだし)の女子生徒はそのままお辞儀をして去っていった。ちょっと悪いことしたかな、とは思うものの、まあ今後接点はないだろうと割り切って、僕は少しだけゆっくり歩いて帰路に就いたのであった。

「おはようございまーす」

 それはもう口から口と心臓が呼ばれなくとも飛び出てジャジャジャジャーンしそうだった。
 昨日無碍にした女子が笑顔で挨拶をしてくれば誰だってそうなるだろう。

「……どうも」

 ばつが悪いと思っていた僕は素っ気ない返事をして、歩みを速めた。しかし彼女はついてくる。なんなんだこれは、新手の嫌がらせか?

「昨日はありがとうございました。腕時計、教室にありましたよ」
「それは良かった。では僕はコレにて」

 これ以上会話を続けても僕の心が傷むだけなので、早々に切り上げて通学路を急いだ。しかし彼女は追ってくる。

「自己紹介をしてませんでしたね。一年七組の白間六美と申します」
「め組のイーモデード・猪木です。ではさようなぐげっ」
「いちねんななくみの、しろま、むつみ、です」

 脇腹を遠慮なく突かれ、ゆっくり、念を押すように強く言われてしまった。
 これ以上誤魔化した場合、体中の突いてはいけない箇所をぶすぶす刺されそうなので、服従することにした。僕って貧弱貧弱ぅ。

「……二組の桜井宗一です」
「桜井さんですね。よろしくお願いします」
「よ、よろしく」

 第一印象は美人で、第二印象はおっかない。それが僕の彼女に対する感想だった。




「わたしは自分が平均以上だって自覚してるんですよ。中学卒業までは誰だって好意的に接してくれたもんです。腕時計をなくしたのは本当ですが、実のところ、どこにあるのか検討はついていました。
 でもほら、自惚れがあったんです。高校でも同じようになるんだろうなって。そう思うと早いもので、前を歩いていた桜井さんをロックオンしたわけです。自分で行くより探して貰う方が面倒じゃないって」

 なんて黒い娘だ。恐ろしい。

「でもあっさりと跳ね除けられて、びっくりしちゃいました。同時に目が覚めたわけですよ。
『ああ、今まで自分は何を自惚れていたんだろう』って。
 でもそれで自分への評価が下がるわけじゃないので、こんな美人をまるで特別扱いしないこの男子は何者なのか、って興味が湧きました」
「何者も何も、普通の高校一年生だけど。買いかぶりすぎじゃない?」
「というわけで、これからよろしくお願いしますね」

 聞いちゃいねえ。聞いちゃいねえよ。





 白間六美と僕は教科書を借りたり辞書を借りたり筆記用具を借りたりする仲になった。借りたりばっかかよとか思ってはいけない。
 友人には「なんでお前と白間さんに接点があんだコノヤロウ!」といろいろ言われたりもしたが、まさかあの日のことを言うわけにもいかない。言ったら後が怖い。なので口から出任せ、僕から声をかけました、で納得させた。
 その後、白間が「声をかけてくる男子が増えた」と愚痴っていたこととはなんの関連性も無い、と思いたい。
 部を立ち上げその栄えある第一回目として花壇を作ったのはその直後である。それを宮戸が見ていたということだ。そして、僕が放課後になにやらこそこそしているのを怪しいとでも思ったのだろう、面白そうと言った白間が入部したと推測出来る。
 さて、過去の整理は恙なく終わった。次は現在の整理といこう。
 部に在籍する全三名のうち、二名が女子である。そしてその二人から同じ日に「I like you」と言われる。Loveにしないのは最後の抵抗である。
 ……整理するまでもありませんでした、はい。
 僕は自分が普通だと思っているが、世間一般の男子とはちょいと違うのではなかろうかとも思っている。何故なら、心がまったく躍らないからだ。
 かたや可愛い、かたや美人。両者から告白される確率は果たしてどれくらいなのか。長い人生の中でも一回あればラッキーマンである。『普通なら』、部屋の中を飛び回って喜び、二股しちゃおーかなぁ、と不健全な考えに至る。
 しかし僕はと言うと、『これで部活動が気まずくなったら嫌だなぁ』と、あさっての方向へと思考を飛ばしているのだ。逃げているわけではなく、本心からそう思っているのが厄介だ。
 『気持ちに応える』という選択肢はないのか、と考えると、『どちらかを切り捨てる』と非情な答えが自動的に浮かび上がってくる。『今』が楽しい僕にとって、それはありえない。ぬるま湯に浸かっていると自覚しているのにそこから出ようとしないのはタチが悪い。しかし、『今』を失うのは心底から嫌だ。

「……うわー、僕ってば駄目駄目人間だなぁ」

 客観的にも主観的にも、僕は駄目人間と認定を受けた。ちっとも嬉しくない。
 宮戸も言っていたが、やがては僕らは離れ離れになり、違う道を歩む。学生時代の思い出を糧に社会に出ていって、平々凡々と暮らしていく。誰もがそうだろう。
 貴重な時間を楽しく過ごしたいのは誰にだって共通する。僕だって宮戸だって白間だってそうだ。だからこそ、手放したくないのである。
 ―――それでも、いずれは答えを出さなきゃいけない。
 はっきりしないと気が済まないであろう彼女達だ。僕だって、曖昧なままなのは少々気持ち悪い。『今のままで何とか出来ないだろうか』と策を練るも、五分で白旗が揚がった。

「……それこそ曖昧にするってことかもしれないなぁ」

 いやはや、僕の足りない頭では、決定的で絶妙で尚且つエレクチオンな発想は無理があったようだ。
 とりあえず、眠気も酣。難しいことは頭が冴える朝に考えよう。

「じゃあ、善は急げ。でも悪も急げ。というわけでおやすみなさい」

 その日の眠りはいつもより浅かった……気がする。






























 青群日和































 下駄箱は混雑を極め、もはや休日の渋谷も真っ青な状態に至っているのではなかろうか。下駄箱よ、お前に教えることはもはや何も無い、とヒゲを蓄えた渋谷が言うのである。お前ら師弟関係だったんかい。自分で考えたことに自分でツッコむ。これぞセルフ。
 ……朝っぱらから僕は何をしてらっしゃるのでしょうか。何やらひどく空しい。

「おはよーございまっす、ぶちょー」
「君の知っている部長は死んだ」
「なっ、なんですとっ!?」
「……まあ朝から漫才をするのも楽しいかもしれないが、ここでやるのはみんなに睨まれかねない愚行の極みなんで、素直におはよう宮戸」
「長い挨拶っすね」
「よいこの為の説明的口調と言ってくれたまえワトスン君」

 いつも通りのやり取りだった。まるで昨日のことは夢現、夢幻の如く。
 ひょっとしたら昨日のアレは僕が見た白昼夢なのかもしれない。バナナの皮で滑って転んで頭を打ったとか。そうだ、きっとそうに違いない。

「部長、六美っちにも好きって言われませんでした?」
「Yes, I am!」
「……何故に英語ですか?」
「いやあ、ただ動揺してるだけさ、HAHAHA!」

 現実はやはり、えてして厳しいのだ。証拠にあっさりと僕を捕まえた。

「んで、どうなんですか? わたしは部長が好きですけど、六美っちはなんと? 部長のこと好きなのがわたしだけならラッキーなんですが」
「……あのさ宮戸さんや。そうやって好きとか鋤とか繰り返すのは、その、恥ずかしくないのでせうか」
「二番目はイントネーションが違うので除外っすね」
「僕の精一杯のボケをあっさりと!?」

 一番恐ろしいのは実のところ宮戸都なのかもしれない。ボケキラーの称号を心の中で与えておこう。

「……それはもう格段にウルトラ恥ずかしいに決まってるじゃないっすか」

 顔を逸らして呟くように、宮戸は本音を漏らした。
 その破壊力ときたらなんだ、こう、ハラショー。どれだけ単語を羅列したとしても届かない程、僕の真ん中にずがんときた。

「あ、六美っちだ。おはよー」

 と思ったら、犯人はあっさりと態度を変えていた。
 ……女の子ってわけわかんざきだぜフゥーハハハー。

「あら、都。それと死神が背後でエーデルワイスを歌っていそうな部長、おはようございます」
「なんか僕だけ不吉!?」
「そりゃ、なんか部長、今にも道頓堀に飛び込んで不衛生極まりない水をがばがば飲んで遠回りに自殺しそうな顔してますもん」

 どんな顔だ、それは。
 しかし不覚その二だ。自分では普段と変わらない様にしていたつもりでも、表情に出ているとは。男とはかくも悲しき生き物か。僕だけなのかもしれないが、それは禁断のツッコミである。

「まあ元気出してくださいよ部長。そこまで気落ちされると、わたしたちが悪い気がするじゃないっすか」
「そうですよ。女の子二人に告白されたんですから、もっとラリっていただかないと」

 ラリるて。
 でも二人の言い分は尤もだ。同じ人を好きなのに、こうやっていがみ合う事もなく、両者とも自然に接しているではないか。
 彼女たちは僕の様子を見て励ましてくれたに違いない。ああ、なんていい部員なんだ。僕は幸せな部長だなあ。

(……だから……になると思うんだけど)
(いやいや……だって)
「おーい、何をこそこそ話し合ってるのかねチミタチ」
「おぉーっとそろそろチャイムの予感ですよいかりや隊長!」
「誰がいかりやだ」
「わたしは七組なんで、先に行きますね。それではまたー」
「あ、うん、またー」
「じゃーまたねー六美っちー」

 ……何かを誤魔化されたような気がする。

「それじゃあ部長、自分も急ぐでありまっす!」
「あ、宮戸「そいではー!」……」

 弾かれたような早さで走り去っていく宮戸を呆然と見ていると、
 キーンコーンカーンコーン。
 そして鳴り響く電子ベル。誤魔化されたのではなく、本当にチャイムが鳴る直前だったのか。

「っと、僕も急がねば」

 火急の如く、僕も廊下をこそこそと走り抜けていった。













「一年一組の宮戸都中尉であります。以後よろしくお願いしまっす!」

 微妙な階級と見事なデコだったので大尉に上げてやったら、「それでも微妙なことに変わりなし!?」と返され、ノリが大変よろしい娘であることがすぐに分かった。後ろで白間が上品な笑いを浮かべていたのが印象に残る。
 真相を知らなかった当時の僕はチクられたらまずいかなと引止め工作を行い、見事部に招き入れたとひとり沸いた。白間も一緒になって喜んでくれたが、はたして何故宮戸がいたのかを理解していたかはわからない。

「せやっ、せやっ!」
「るおおっ!?」

 すぐに彼女も混ぜて三人でのエセ卓球部となったが、「卓球は初めてっすよー」と言った宮戸は初っ端から低い弾道のサーブを放ち、本職顔負けのドライブ、フェイクを織り交ぜた変化球、挙句の果てにはフェアとバックのカットまで披露してくれた。見様見真似と宮戸は言っていたが、凄まじいセンスと運動神経の良さである。回転をかけない球をそこそこの低さで打ち合う程度の腕前である僕らに、デコ魔王に立ち向かう術など無く、ただただ蹂躙されるだけなのであった。うぐぐ。
 その後、白間が「覚えました」と呟いて、宮戸に再戦を要求。ノリノリハイテンションの宮戸は快く承諾。その時白間の端正な唇が釣りあがっていたのを、僕は忘れないだろう。

「ふっ、ていっ!」
「その打ち方はもう通用しません!」

 僕が見ているのは果たして胡蝶の夢だろうか。そんな現実逃避を考える。
 先程までは圧倒されていた白間が宮戸と互角に渡り合っているのである。成程、さっきの「覚えた」というのは、宮戸の癖か何かか。
 白間は普段大人びてるけど子供っぽいところもあるんだなあ。意外を通り越して感心した。
 まあそれでも持っている運動神経や体力の差はでかく、宮戸が徐々に押し始め、僅差で白間は敗北となった。このまま第二卓球部を名乗ってもいいんじゃなかろうかと、自分自身で立ち上げた部の存在意義を失いかねない程、僕は眼前で繰り広げられた熱戦に心奪われた。

「なっ、中々やるね白間さん……」
「そ、そっちこそ……宮戸さん……」

 女の友情が生まれた瞬間であった。美しい。
 間もなくして宮戸と白間は名前で呼び合うようになった。自分のクラスでは本性を隠し上品ぶっている白間ではあるが、宮戸の前では黒さをほんのり漂わせる発言をしたりと、気の置けない仲になりつつあるようだった。
 僕はと言うと、呼んでいいとは言われているが、名前はなんか恥ずかしいので苗字のままで文句を貰いながらも納得させた。その報復なのか、同学年なのに人前でも『部長』呼ばわりだが。まあもう慣れたけど、事情を知らない友人から「なんで部長?」と聞かれた時は誤魔化すのに苦労した。話してしまうと、きっと男子が殺到するだろうし、そんなに人数が増えても困るわけである。三人くらいが丁度良いのだ。

「部長、なに遠い目をして黄昏てるんすか?」
「へへ、僕も老けたもんだなぁ、って思ってただけよ……って」

 昼休みである。昼食である。授業から解放されて休む時間である。
 だと言うのに、何故休んでいる気分から働いている気分になるのか。その原因を僕は見やった。

「へへぇ、部長、こんちわっすよ」

 これはどうしたことか。今までうちのクラスに来ることがなかった宮戸がいるではないか。しかも凄い笑顔で、後ろで手を組んでいる。何かあると思うのが正しい。
 遠くにいた友人たちも、白間以外が訪ねてくるのを怪しいと思ったらしい。徐々に近付いてくる。
 ……何やら嫌な予感がするのは、きっと正しい感覚を僕が持っているからだ。現在の状況から未来を予想するのは容易い。
 まずは宮戸が自己紹介をし、僕の友達とでも言うだろう。そして何しに来たの? と聞かれたら、包み隠さず僕に会いに来た。そうのたまうに違いない。この時点で僕の未来に暗雲が立ち込めてくるのだが、次に起こり得る事象で、暗雲は暗闇を伴った暴風雨になるだろう。
 おそらく、宮戸が後ろに持っているのは。
 ここまで分析が出来ていれば、僕がやるべきアクションは自ずと見えてくる。身を預けていた椅子から立ち上がり、「おおっ!?」宮戸を方向転換させ、その背中を後ろから押していく。傍から見ればかなり挙動が不審だが、生きる為なので考えない。
 そのまま人気の少ない方へと進んでいき、体育館側の自転車置き場にやってきた。ここなら人は来ないだろう。
 宮戸も空気を呼んだのか、道中だんまりだった。ラッキーだ。

「部長、こんなところに連れ込むなんて、結構大胆っすね」
「ちっがーう」
「わかってますよー。このー、部長の照れ屋さんー」

 つんつんと指で頬を押される。そして徐々に力が増していき、指がめり込んでいった。痛い。なんだか最近、いじられ役が交代したような気もする。とほほ。

「というわけで、部長もお察しの通りです。今日も購買で栄養バランスを考慮しないで惣菜パンを食すであろう部長の為に! 宮戸都、華と風の十五歳! お弁当を作ってきましたっ!」

 風ってなんだ。
 まあそれは置いといて、宮戸の提案は非常にありがたい。両親が共働きであり、昼飯は専ら購買部で済ます僕にとって、手作り弁当というものは希少種とも言えよう。……宮戸の腕前がどんなものかは知らないが、まあ死にはすまい。我ながらひどい事を考えていると思うのでプチ反省。

「そういや白間は? 一緒じゃないの?」
「六美っちは委員長の仕事があるってことで、残念ですが」
「そうか。じゃあ仕方ないな」

 三人で囲む昼食というのもおつなもんだが、そういうことなら仕方ない。作って貰った身分で偉そうな事は言えないので、あとはありがたく頂戴する事としよう。

「んじゃ、遠慮なく貪らせてもらおう」
「はいはい、餓えた豚のように浅ましくがつがつとお願いしまっす」

 僕たちに上品という単語は存在しない。中流で満足なゆえ。

「……ど、どうっすかね」

 最初に定番の卵焼きを口に入れた。宮戸は僕の反応を待っているようで、まるで小動物のようにおっかなびっくり状態だ。ここでいじってもいいが、食べ物を粗末にしたり、食事中にそういった事をするのは人間としてどうよ、なのでおとなしく感想を述べよう。

「うん、いいよ。美味い」
「そ、そうですか。それは良かった。失敗してたらどうしようかと」

 宮戸は心底安心したようで、安堵の表情を浮かべている。

「でも、部長のことだからもっと斜め上のリアクションかと思いましたよー。なのに普通で、ちょっと驚いたっす」
「君は僕を何だと思っているのかね」
「そうっすねー……人の皮をかぶった人、みたいな?」
「わけわかんねー!」
「あ、コロッケも自信作っすよ」
「いただきます」

 すっかり飼い慣らされた僕は次々と弁当の中身をたいらげていき、食べ終わる頃には犬になっていた。

「ほーらぶちょー。とってこーい」
「わんわん! ……ってアホかー!」
「ちっ」

 本当に残念そうな宮戸に白間の影を感じる。あんなに純粋だった子が今ではやさぐれです。子供を持った父親の気分を理解したと思った。

「それにしても宮戸が料理できるとは意外だった」
「む。部長こそわたしをなんだと思ってるんすか」
「そーだなぁ……イノシシ?」
「やだなぁ部長ー、いくらわたしでもそこまで突進しませんよー」
「いただだだ!」

 手の甲に富士山が形成されている。結構痛い。そこそこ痛い。中々痛い。かなり痛い。

「すいませんごめんなさい僕が間違ってました離してください」
「わかればいいんす」

 赤くなってしまった箇所を息を吹きかけて冷やす。しかし手加減してくれたのか、見た目に反して痛みはすぐに引いていった。

「それにしても部長、ほら、こう、なんか連想出来ません? 今の状況から」
「……何が?」

 そう答えると、宮戸が頬を膨らませてこれみよがしに不機嫌になった。わけがわからない。

「いいですか部長、おそらく友達からも鈍いとか鈍いとか変なところは鋭いくせにとか色々言われてると思いますが、それが実感として分かりました。部長は稀に見る鈍感オブジイヤーっす!」

 凄い言われようだ。僕が何をしたって言うのか。しかし鈍いとかは、まあ、よく言われる。宮戸にすらわかるとは、そこまでの域に達しているのか。

「……ああ、今の状況の事を言っているのね、宮戸は」
「そ、そうっす!」

 やれやれとわざとらしく言い、宮戸はそっぽを向く。なんともわかりやすい奴だ。

「そうだなぁ、強いて言えば『キーンコーンカーンコーン』チャイムが鳴った、みたいな……って、チャイム?」
「はっ、ぶっ、部長っ! 今のは予鈴っぽいです! このままだと単位と単位が四連鎖っす!」

 言っていることはよくわからないが、時間的に危ないことはわかる。

「じゃ、じゃあ部長! また放課後!」

 脱兎で遠ざかっていく宮戸の速さに感心してから、すぐに僕も走り出す。そんな悠長な場合ではないが、見届けてからでも遅くはないと思ったのだ。
 風景を切りながら、宮戸の言葉を思い出す。

『なんか連想出来ません?』

 なんか、とは。僕はおそらく答えをすぐに出せたであろう。でも躊躇したのは、前日ベッドの上で考えたことが根本にある。
 自己を分析すれば、いかに僕が非情なのかがよくわかる。保守的な考えを持っているつもりは無いが、彼女たちにはそう捉えられているかもしれない。それもまた、崩壊の因子になり得る。
 はたしてこの僕に、円満解決の手立てを探ることが出来るのか?
 少しだけネガティブ方向に進もうとすると、軽い眩暈を覚えた。軟弱な心だと批判をし、教室のドアを開け放つ。どうやら本鈴には間に合ったらしく、喧騒がまだ収まっていない。助かったと思えば助かった。少しは気が紛れるってもんだ。
 やがて授業が始まると、教室は静かになる。すると同時に眠気が僕を襲ってきた。今朝、眠りが浅いと思ったのは、どうやら気のせいではなかったようだ。
 最近どたばたしていることもあり、僕は考えることなく、お休みなさいと呟いた。













「わたしのご先祖様が言うに1-15っすね!」
「おかーさーん、あなたの娘が宗教にはまってしまいましたよー」
「わたしに娘なんていません」
「ひどいことを言われつつ存在を否定された!?」
「まあ冗談はこれまでにしておこうか」
「そうですね。わたしはやや本気でしたけど」
「本気を混ぜてたとな!? ふ、二人ともひどいっす!」

 ぎゃーぎゃー騒ぐ宮戸のデコを右手で牽制しつつ、本当は持ち込んではいけない携帯型液晶テレビを見やる。時刻は十五時十七分。日曜日。見ているのはフジ。
 何故学校にいるかというと、部活動だから。それ以外に説明のしようはない。活動内容は青春すること。……着順予想が青春かどうかはわからないが。

「僕が思うに8を絡めた、2-8、8-9、8-16が怪しいかな」
「中々いいセンを突きますね、部長。でも過去のデータから概算しますと、今日は2-7、7-8、8-11あたりがにおいますよ」
「誰もわたしの言った番号を口にしやがらねえとは! うわーん、イジメだー!」
「よしよし、宮戸はいい娘だなー。だから泣け」
「出てくる言葉が間違ってるっす部長!」
「ごめん、わざとだ」
「むきー!」

 両手を振り回して突進してくる宮戸だが、彼女の額を押さえて止めた。いろんな意味で便利な部位だ。

「ほらほら、部長も都も遊んでないで。じゃあ都が1-15、わたしが2-7、部長が2-8、でいいですか?」

 遊んでいるとみなされてしまった。ちょっと悲しい。

「おっけおっけ。けけけ、二人とも後悔すんなよー」

 すでに的中したかのようなその言動に、僕は若干だが動揺を覚える。
 ……いかんいかん、Be cool、落ち着け。そんな当てずっぽうに言った組み合わせが来てなるものか。こういうのは前走の様子や距離適正、血統とかから判断するのが正しい。僕や白間のように。
 宮戸のことだから、中継が始まったのが十五時だから15にし、そこに1をくっつけただけに決まっている。
 よー。がしゃん。
 ゲートが開かれる。牡馬三冠の一角、皐月賞が始まった。
 人気は順に、7番クオリティアゲイン、2番ガイドライナー、11番ガンマンムサシ、9番アドマイヤアラマキ、となっている。
 僕が一着もしくは対抗として挙げた8番はバーニングマーチといい、成績自体は地味だが、前走で余力を残しての三馬身差勝利をしてみせた。一冠を取る実力はあると見ている。
 16番は逃げ馬としての地位を確立したエスケープリアル。脚質や気性が完全に逃げ馬であり、天性のものがある。もしかしたら、の期待を含め、予想に絡ませた。
 レースは千メートルを通過し、トップはやはりエスケープリアル。十馬身ほど離れたところから1番、15番、2番、9番、13番と続く。7番のクオリティアゲインは中団やや後方に位置していて、直線に勝負をかけるいつものパターンだ。……いや、生中継を見るのは初めてなんだけどね? ちょっと通を気取ってみたいお年頃なんです。
 最後の直線に入る。先頭と集団の差は三馬身といったところか。鞭を振るい必死に逃げるエスケープリアルだが、後方より襲い掛かるスピード狂たちにあっさりと飲まれてしまった。これで8-16は消えてしまった。とほー。
 残り二百メートルを切った。先頭は、道中ずっと二番手につけていた1番ツーディメンジョン。その半馬身後ろに15番ファニーダンサー。そして二馬身後ろに僕らの本命集団が犇いている。
 いつ動くのかと思った瞬間に、一斉に鞭が入った。どうやら、騎手たちは同じ事を考えていたようだ。8番、7番、2番、11番、9番と、同時に末脚が発動し、ゼッケンが風を切っていく。
 速さは圧倒的にある。だが、判断を誤ったようだ。
 それを四百メートル通過の際に使っていれば、栄光のウィナーズサークルが待っていたというのに。
 ぐんぐん差が縮まっていく。僕らはそれが「残り何メートル」なのか知らず、期待に胸を躍らせた。
 実況の『しかし届かない!』との言葉が聞こえた直後に、1番、15番は後方集団に追い抜かれた。だが、ゴールはすでに遥か後ろにある。
 つまり、どういうことか。そういうことだ。

「……わっほう」
「こ、こんなはずは……」
「……や、やっぴー! うれぴー! よろぴくねー!」

 脱力する僕らの横で、宮戸が謎のテンションを繰り広げている。いったい何語だろうか。
 まあそれはさておき、レースは審議中のランプが灯っているものの、1-15で鉄板だろう。僕らの負けだ。

「くっ、宮戸がてけとーにあげた予想が当たるなんて……ちくしょう……ちくしょおおおお!」
「部長、わたしも同じ気持ちです……まさか都に負けるなんてっ……迂闊っ……!」
「ひどいっすね!?」

 少し演技を入れてみたところ、宮戸山が噴煙を撒き散らし始めたのですぐやめた。
 その後のレースもついでに予想をしてみたところ、またもや宮戸の一人勝ち。大貧民に切り替えて反撃の狼煙を上げようとしたら、ここでも大敗。新事実として、宮戸都は勝負強い、ということが判明した日だった。
 僕? 僕はすべてにおいて最下位ですよ。ぐすん。













「おはようございます俺、おはようございます夕焼け」

 教室はすっかり夕焼け小焼けの赤とんぼ色に染まっていたりする。誰も起こしてくれなかったのかコンチクショウとごちてから自分のせいじゃね? と気付いて自分の頭をぱしぱし叩いた。猛省せよ猛省せよ。
 しかし、随分と懐かしくなってしまったことを夢に見るとは。僕はやはりここ数日で一気に老けたのかもしれない。
 哀愁を感じつつ茜色の机をぼんやり見ていると、
 ―――夕焼け?

「……あ、やべ」

 はっとなり、慌てて腕時計を見る。四時半を針が示していた。これはやばい。

「そうですね、部長はわたしを待たせた罰として、それはもう末代まで反省すべきです」
「うぐ、そ、そこまで重罪か……と、白間?」

 声がしたのは教壇の方。慌てていたもので、気付かなかったようだ。白間が台に両肘をついて、こちらに微笑みかけている。こええ。

「はい、白間六美です」

 言葉の短さが圧力を醸し出しているようで、僕は心なしかたじろいだ。昔から彼女には弱い僕だが、今日は一段と怖い。おそらく、いや、間違いなく僕のせいで。

「……って、あれ。『わたし』? 宮戸は?」
「都は家の用事で今日はお休みとの事です。それで、わたし一人で部室で待っていたんですけど」
「マジでごめんなさい」
「謝って済むなら警察は要りませんよ、部長?」

 即答された。どうやらかなりお怒りのご様子だ。僕様ちゃんピンチ。

「……まあ、部長もお悩みのようですし。そこらは考慮に入れますけど」

 おお、お慈悲。地獄で仏を見た気分だ。さすが白間、黒いと言ってもそこまでではなかった。

「それじゃあ、ちょっとこっちに来てください。『桜井』くん」

 ぞくり。悪寒が猛烈な勢いで迸った。
 白間に苗字を呼ばれたのはかなり久し振りである。しかし慄くべきは、彼女の口調が、格下の者を抑え付けるように迫力を纏っていることだ。
 逆らう術を持たない僕は、言われるままに教壇に近付いていく。気分は網にかかったイワシのようだ。喩えが下手とか言うな。

「そこで止まってください。……こうすると、身長差が結構縮まるんですね。三センチくらいにはなったかな。高さは丁度良いかも」

 白間が何を僕に与えようとしているのか、しようとしているのか、靄がかかったように想像出来ない。ただ僕は、固まってその時を待つだけだ。
 しばらくその姿勢を維持していると、白間の左手が、僕の後頭部に触れた。続いて、右手。僕は彼女に抱きすくめられたみたいだ。冷静に分析してはいるが、体は手錠とロープで拘束されたように動かない。今感じている『これ』が恐怖なのか畏怖なのか、戦慄なのか期待なのか、判断力が失われていく。

「部長は罰として、『これから何が起きようとも』、目を閉じてはいけませんからね」

 鈍感、鈍感、鈍感。普段はそう言われているが、『これから何が起きるのか』、僕にでもわかった。わからされた。
 目を閉じるなとは、この状況では極上の罰だ。理性と本能同士で争い、理性の勝利を約束しなければいけない。
 こうなったのも自業自得の四字熟語だが、眠るのに最適だった気候もちょっとはいけないのだ。自覚してもらいたい。
 ……すみません、冗談です。

「……物分りが良いですね、部長は」

 見下した言い方だが、不思議と不快感は無い。これも白間六美の魅力だからこそ成せる業なのか、僕は『心地良い』と思っている。
 これは未知の領域。僕の知らない白間六美。あの日の公園で体験した白間六美。
 妖艶に細まった両目が僕を捕らえる。思わず目を瞑って、流れに身を任せてしまいそうな弱さが一時的に顔を出すが、踏ん張りどころだ。僕は目を閉じずに、腹を据えて目の前に迫り来る白間六美を見つめた。

「……あらら」

 唇が、触れそうなところで停止している。彼女の甘い匂いが容赦なく鼻腔を擽り、距離にすれば一センチあるかないか。一足一刀を超えた間合いで、僕らは互いを、言葉も発さず、銅像のように見ていた。
 そういえば白間が間の抜けた、正に白々しそうに声をあげていたが、何なのか。

「本だとこれくらいやれば『いける』ってあったのに、部長って本当にわけわかりませんね」
「本、とな、……ああ、そう、そういうことね」
「そういうことです」

 つまり僕は実験台だったってことである。これで落ちれば一石二鳥。落ちずとも動揺すれば一石一鳥。落ちず慌てずは大遠投、といったところだろう。

「それにしても部長って枯れてますよね。女の子に迫られて動揺しないんですから」
「かっ、枯れてません!?」

 いつかの公園で、宮戸にもそうやっていじめられた記憶がある。だが僕だって年頃の男だ。そんなわけがない。根拠は無いが。

「あーあ、このままだとわたしの負けかなー……」
「ん? なんか言った?」
「え、い、いえ、何も」

 ……何でもなくは、ないな。しかし、つつけばすぐに動揺してしまうその様は、彼女自身が以前に言っていた通り、肝心なところで詰めが甘いことを体現している。
 どれ、ここは仕返しといこうか。

「いやー、まったく白間はエロいなー」
「なっ、何ですかいきなり!?」
「高校一年生であれだけ出来るなんてエロさの証明だとは思わんかね」
「ち、違います! そんなんじゃ、あ、あ、あ、ありませんっ!」

 どうやら効果は抜群のようだ。エロいかエロくないかはこの際蹴っ飛ばしておいて、新鮮すぎる白間の慌てぶりは眼福なり。
 ……これも奴の『計算ずく』だったら怖すぎるけど。

「そ、そりゃあわたしだってソッチに興味がないと言えば嘘になりますが、だ、だからと言ってそういう風に言われるのは心外中の心外です!
 そ、そ、それを、エ、エロいなんて! 大体、わたしはそんな経験とか、し、し、したことなくって、そ、その……」
「お、おーい? 白間さーん?」
「で、でもしたくないというわけではなく、でも誰でもいいとかじゃなくて、で、出来れば、その……ぶ、ぶ、」
「ぶぶ漬け?」
「ええ、京都でそれを出されたら、すなわち『お帰りください』……こほん」

 ち、帰ってきたか。しかし、それにしても盛大な自爆だった。いいものを見せていただいた気分である。しばらくはこれでいけそうだ。色々と。

「……今日、ここでは何も起こりませんでした。いいですね?」
「え、いやいや「いいですね?」イエッサー、サー!」

 哀れ僕の野望はその日のうちに潰えてしまった。時間にして三分程度のそれは明智光秀の三日天下をも上回る早さだ。
 ……全然嬉しくないなぁ。上回ったのに。

「……まあいいか。んじゃ帰ろうか白間。もう時間も時間だし」
「そうですね。暗くならないうちに帰るのが賢い選択です」

 笑顔で繕われた表情だが、その内面は荒れているような気がする。今日もなんか失敗してたし、最近、白間は随分と間が抜けている。
 不自然さを覚えるほどに。

(……怪しいなぁ)

 更に重箱の隅をつついてもいいが、少しの振動でも爆発オチに持っていけるであろうニトログリセリンにも匹敵する、白間のあの恐ろしさを思い出し、やめておくことにする。これもまた優しさだ。主に自分への。
 鎌首を擡げてくる疑問への好奇心を内へと封じ、「行こう」と促した。笑顔で頷いてくれたのが救いか。













「やーやーぶちょー、青春してますかー」

 通学路を往く際、宮戸の襲撃を受けた。それにしても朝から元気な娘である。

「青春の定義は広すぎて曖昧だけど、状況だけなら僕ほど青春してるやつはいないんじゃないかな。当の本人は今日も寝不足だけど」
「にひひ、悩んでこそ人は成長するんっすよ」
「なんだ宮戸、風邪でもひいたか。君がそんなまともなことを言うなんて。これは宇宙消滅の前兆か」
「いきなりスケールが宇宙規模に!」
「つまり人類は滅亡する運命にあったということなんだよ!」
「な、なんだってー!」
「……朝から楽しそうですね」

 呆れたような声がかけられたので振り返ると、やはりそこには呆れ顔の白間がいた。そんな顔をされる覚えが無い僕としては、細まった目で見られるのは居た堪れない。

「やー六美っち、おはよー三角ー」

 しかし宮戸は意に介さず、朗らかに挨拶を繰り出した。恐ろしい子め。

「あ、部長。申し訳ないんですが、都と二人にしていただけますか? ちょっと女の子同士の秘密の話があるもので」

 女の子同士。秘密。
 男心をくすぐるワードが僕の頭を悪くしていく。

「実は僕は女の子だったんだ。よって参加しよう」

 自分でも何を言っているのか分からないが、二人の表情がしらーとなっていくのは分かった。うむ、ここは引き下がろう。

「……と言うのはお茶目な冗談なので、僕は先に行っています。ごゆっくりどうぞ〜」

 限りなく弱っちい。地上最弱が最も恐ろしいなんてのは幻想なんだ。













 今朝方に露呈した僕の弱さをひっそりと思い出の中に封印しつつ、一時間目に使う英和辞書をロッカーより引きずり出

「……あれ?」

 ……そうとして、空を握った。
 そういえば昨日だか一昨日だか、家に持ち帰ったような気がする。忘れるとはなんたる失態か。

「仕方ない、白間に借りよう……」

 今朝の不機嫌ぶりを思い返せば行くのは躊躇われるが、何か僕がしたのならついでに謝っておきたい。一石二鳥だ。そう考えれば善は急げで、僕は教室を発ち、七組へと向かった。





「あうう……」
「……」

 部室の外より聞こえてくる呻き声は、間違いなく白間六美であろう。しかし、一向に入ってくる様子はなく、部屋の前を行ったり来たりしているようだ。
 ……まあ、気まずすぎて入れない気持ちは分かるが。
 僕としては説明を求めたいが、また怒られたらどうしようと、子供のように悩んでいるわけである。
 朝、七組に辿り着いた僕を待ち受けていたのは、なんだか刺々しさを増した白間だった。つんつんしていると言えば分かりやすいと思う。
 確かに白間はクールで素っ気無い印象を受けるが、ここまでじゃあなかった。
 声をかければ、間を置いて「何ですか?」と冷たく返され、要件を告げると、溜息を吐かれた後に「……駄目な人ですね」と言われた。確かに駄目な人なのでごめんなさい、とは思ったが、急にどうしたんだろうとも考えた。
 辞書は借りれたものの、何やら後味が悪くなってしまった。きっと自分が何かしたんだろうと思ったので、一言ごめんと謝り、七組から一目散に逃げ出した僕だったのでした。
 まあ放課後には機嫌も直ってるだろうと思ったが、ドアの前でうろちょろしている様子から察するに、どうやら僕の誠意が足りなかったらしい。ここは素直に出て行って、自称土下座番長たる桜井君の実力をお披露目するべきだろか。
 ……まあ、このままいても時間が過ぎるだけだし、浪費は無駄だし、素直に。
 なるべく静かにドアを開くと、こちらに背中を見せ、固まっている白間がいた。気付いていないようだ。
 「うーん」とか、「あああ」とか、何やら悶絶している。

「なあ、白間―――」
「ひぅ!?」

 沈黙したところを見計らって声をかけてみると、奇声を上げ、肩をびくっと震わせた。こっちを見ないのでその表情は窺い知れないが、耳を見ると真っ赤だった。茹蛸だった。
 わけがわからない。振り向いて僕を罵倒するなら、まだその赤色の理由がわかる。しかし彼女はけしてこちらを見ようとせず、両手で頭を抱えていやんいやんしているのだ。正に奇行。天才ゆえの苦悩でもあるのだろうか。いつの世でも理解されないとか言われてるし。
 しかしここで考えてみる。彼女が何故不機嫌なのか、一つの心当たりにぶち当たったのだ。
 僕が返事をしないことに堪忍袋の緒がぶちぶち千切れ、今日の夜道に気を付けろけけけけ、なのだろうか。
 いや、まさか、理性的な白間に限って。

(……否定できない)

 でも、だからといっていいかげんな返事は出来ない。こう見えても僕は結構悩んでいるのだ。真面目に。
 二人には本当に悪いと思っているが、こればかりは待ってもらうしかないのである。近いうちに結論が出せればいいなあ、とか漠然と逃げに走ることもあるが、人としてそれはどうよ、なのですぐに戻ってくる。

「およ、六美っちにぶちょー、部室の前で何やってるんすか?」

 そこに事態を打破できるかもしれないし、もっと混沌とさせるかもしれない人物が姿を現した。僕はすぐに声をかけようとした、が。

「っ! ちょ、ちょっと都、こっち来て!」

 それより速く白間が動いた。行き場を失った僕の声は喉を通り過ぎ、全身を駆け巡りながら消えていった。二人は廊下の隅に移動していて、白間がエキサイティング、宮戸は冷静に受け答えをしているようだ。普段はとても見れない、立場が逆の珍しい光景だった。小声なので、何を話しているのかは聞こえない。
 今では余り見なくなった飛行機雲を眺めるような気分でしばしぼけっとしていると、見ているこっちが恥ずかしくなりそうな笑顔の宮戸と、後ろを向いたまま引き摺られている白間が戻ってきた。その耳はまだ赤い。

「いやー、ごめんっすよ部長。六美っちが駄々をこねるもんでして」
「こ、こねてませんっ!」

 わずか数分の間に優劣が逆転してしまったようだ。

「んで、何を話してたわけ?」
「はい、実はむつむぐ」

 宮戸があっさりと真相を暴露しようとしたところ、白間の両手がそれを遮った。雷のような速さだった。腕を上げたな……じゃなくて。

「あ、あははははー、た、たいしたことじゃないんですよ部長」

 もう典型的な「たいしたことありますよー」である。いったい何について話していたのか、なんであんなに感情豊かに詰め寄っていたのか、宮戸は何でにやにやしているのか。でも、訊いたらあとで怖いことをされそうなのでやめておく。これもまた勇気ある決断なので、このチキンと罵ってはいけない。

「……そ、そのですね部長。け、今朝は……」

 と思ったら、意外なことに白間から喋り始めた。俯いて、両手を組み、背筋を正している。そこまで改まるなんて、問題は重度と呼ぶほど深刻だったのだろうか。

「け、け、けっ、今朝はっ!」
「は、はいっ!?」

 勢いに釣られて僕も大声で返してしまう。
 現在の白間六美はまるで別人のような立ち振る舞いをしている。本当に別人ではないだろうか、とも思ったが、彼女の後ろで宮戸が何やら囃し立てているのを見ると、その疑問は疑問にすらならなかったことと、何か変なことを吹き込まれたに違いないという確信が湧き上がる。
 ……それぞれが僕を好きだと言っておいて、互いを応援しているような彼女達の行動は理解できないものであった。

「今朝は失礼しました! や、やんごとなき事情とっ! そのっ! え、えーっと!」
「いやいや、もういいよ。事情はなんとなくだけどわかってるから。というわけで宮戸はウサギ跳びでグラウンド七周な」
「ぎっちょーん!? なぜバレたー!?」

 わからいでか。あと、隠すつもりなら簡単に白状するな。

「いいか宮戸。白間は変なところで盲目的で純粋なんだから、変なことを吹き込まないように」
「変なこととは失敬な! わたしはただ最近の流行を教えただけっすよ!」
「……流行?」
「はいっす、周りに人が多いとツンツンしてるけ「わーわーわー!」……とのことっす」
「わけわかんざきだよ」
「まあまあ、六美っちの可愛らしい一面ってことで納得してくださぐはっ」

 お、見事なチョップ。宮戸の額に入ったそれは、良い音を響かせた。往年の漫才コンビも「ほほう」と顎に指を副えて唸りそうだ。

「いっ、いいですか部長っ! 都のほざいたことはすべてこの娘の冗談ですからっ! いいですね!?」
「いやいや六美っち、せっかく部長に六美っちのごふっ」

 あ、オちた。
 天然漫才が終了し、挙動不審に陥っている白間。床にうつ伏せている宮戸はほっとくとして、ここは部長として助け舟を陰から差し出すべきと判断した。

「じゃあ白間、また卓球でもやろうか。久々にさ」
「え? あ、え、、……そ、そうですね」

 混乱していても流石は白間六美。僅かの間にシステムは再起動を果たしたようだ。セキュリティにはやや難があるが。

「お、おのれえええ、このわたしを差し置いて楽しそうに次の予定を組み立ておってからにぃいいい」
「ち、もう蘇生したか」
「うわっ! 酷っ! 部長酷っ! 酉に告ぐと書いて酷っ! なんで酉に告げると酷いのかよくわからんけど!」
「じゃあ白間、行こうか。青春しに」
「そうですね。ところで部長、後ろで喚いている輩がいますけど、お知り合いですか?」
「いんや?」
「ギニャー! ふ、二人してわたしを存在無き者にしようと画策!? 誰かー! 誰か諸葛亮呼んでー!」













 今日の驚きと反省。白間のご乱心とその原因。本を糺せば僕が悪いので、海より深く反省しよう。

「生まれてきてごめんなさい」

 うむ、反省終了。未来に効率よく活かす為、今度は対策を練らねば。過去をいくら後悔しても後ろ向きでしか前に進めないのだ。
 さて、青い春と書いて青春。彼らが群れを成し、僕らを追い立てる。それが学生として生きる時間。青の群れだ。
 いかにしてその時間を、楽しく追い立てられながらニヒルに過ごすのか。僕は今になって深く考える。
 設立当初はいろいろな事をやり、楽しもうと精一杯頑張った。実際楽しかったし、仲間が増え、やっててよかったと思う。
 しかしそこでイレギュラーが出現する。まるで台本に無いセリフを読む新人俳優のように、颯爽と現れたそれは僕を大いに惑わすのだ。現在進行形である。
 確かに色事、恋愛だって大事で、なくてはならないことに違いはない。あれだけ枯れてる枯れてると連呼されている僕であるが、興味が無いわけではない。
 しかしそれはけして第一位にはならない。優先順位としては後方に陣を取っている。
 そんなものより、三人でいる時間の方が、はるかに僕の中では大事なのだ。宮戸が言っていたように、いつかは離れていくのはわかっている。それでも、そこで終わりではない。卒業してからも、就職してからも、会う機会はあるだろう。その席で「そういえばこんなことも」「あんなこととか」と、酒を酌み交わしながら笑いあいたい。思い出は、生きる原動力になる。
 僕が導き出そうとしている『答え』は、それはもうものすごく罰当たりなことだ。もしかしたら世界中を敵に回しかねない、自分勝手な願望だ。
 『付き合う』、『付き合わない』。『宮戸』、『白間』。そんなことじゃなく。どちらか一方の願望を叶えるでもない、桜井宗一の願いだけを押し通す。それが、僕の出した結論だった。
 あとは、僕自身の勇気だけ。













 と強く思うものの、いざ実行に移すとなると僕の小さなリトルハートは、それはもう大きく喚くのである。今も二組の前で腕を組み、壁に寄りかかって、クールな男を演出中。今日でこれをやり始めて三日目。うむ、自分でやっておいてなんだけど痛々しいことこのうえない。楽しくないし。やめよう。

「あれ、部長、どうかしたんすか?」

 そして腹を括れ。

「あら部長、今日も忘れ物ですか?」

 肝を据えろ。
 まだ昼休みが続いていることに安堵し、次に不安になった。




 今から僕が二人に言うことで、彼女たちの想いをズタズタにしてしまうかもしれない。もしかしたら絶交されるかも。ひぃ。
 しかしやらねばならないのだ。僕の心の平穏と、学生生活と、―――彼女たちの為にも。
 僕がすべきこと。ここ数日間で悩んだ果ての今。思いのたけを、解き放つだけ。矛盾を押し通せ。

「……まあ最初に言っておこうか。今から僕は、『一分の隙もなく』、『決定的なミス』をする。二人とも黙って聞いてくれると嬉しい」

 二人は頷かないが、それは肯定の合図だと確信できる。固唾を呑んで見守る、といった表現が、今この場には相応しい。

「この数ヶ月、けっこう早く流れたわけで、僕はすごく楽しい時間だったと胸を張って言える。楽しい時間は早く過ぎるって言うしね。

 だから卒業までこのままがいいなぁ、とぼんやり思ってた。……二人に、告白されるまでは。
 そりゃあ僕だって一介の男だし、嬉しくなくはない。でも、短くても楽しかった今までを思うと、どちらかに応えるのが『今の終わり』になってしまうんじゃあないか?
 そう考えてみたら、宮戸が言っていたみたいに、怖くなった。初めて犬に吠えられた子供みたいに、怖くなってきた。
 普段は面に出さないようにしてるけどさ、今更ながら正直に言うよ。今が続けばいい、って僕も思ってる。
 ―――さて、こんなこと言うのは人としてどうかと思うけど、僕の正直な気持ちだから、よく聞いてほしいんだ。
 ……二人は僕を嫌いになったり、蔑んだりするかもしれない。まあそれも仕方ないかなと思う」
 徐々に、部室の空気が裂帛していく。触れたら一瞬のうちに裂かれそうな、鋭い空気だ。二人の表情も緊張を帯び、僕をじっと見ている。
 視線が交わる先に立つ僕は、深く息を吸い込んだ。

「僕は二人と一緒にいたい。どちらかじゃなくて、宮戸と白間、二人と」

 ……あ、部屋の体感温度が下がっていってるような気がする。
 二人して目を大きく見開いていて、先程までの緊張感は膨らみすぎて張り裂けてしまったらしい。ふと白間を見やると、段々、こっちを見る目が細くなってきている。なんだかいろいろと痛くなってくるから困る。困っているのはあっちだろうけど。さあ、僕は可及的速やかに反省しろ。

「えーと、つまり部長、どういうことでしょう」

 宮戸はわかっていないのか、視線がまっすぐだ。今はその瞳が直視できないくらい眩しい。

「えーと、そのだね宮戸クン」

 ……もう一度言えと言いたいのか、この娘っこ。
 言うだけでもBP(ブレイブポイント:勇気の量を指す)を八割は消費したというのに、もう一度実行しろと無垢な(?)少女は命令を下してきた。命を懸けねければいけない。社会的な意味での。

「……ぼ、僕はデスネ、けして疚しい気持ちとかじゃなくてデスネ、心から今が続けばいいなあと思っているのでアリマス。

 正直に言いマスト、あのデスネ、宮戸サンと白間サン、両名が同じくらいに好きなのデース」
 場を和まそうと繰り出した精一杯のネタは更に場を凍りつかせてしまったようだ。ほらほら、あの白間の冷ややかな目が無言でそれを肯定しているような気がしますよ。ひぎぃ。

「……あー、つまり、どちらかではなく、両方一緒に据え膳ですか?」
「そこっ、もっと遠回しに表現なさいっ!」

 苦しいツッコミだった。宮戸がにやにや笑っている。
 しかし彼女の言うことが実に的を得ていて、僕としては弁解のしようもなく、また、する気もない。
 数日間、出すべき答えを模索し続けた結果は、世間では蔑みや妬みの対象となる。法律的にも認められていない。八方塞だ。
 まあ、僕としてはそこから突破口を開きたいのではなく、そこで三人一緒に震えて生きていこうぜ、と迷惑極まりない感じで話を進めたいのだが、まあ十中八九、僕はロンリーウルフに逆戻りすることうけあいだ。まあそれはそれで仕方ない。

「ぶちょ、二分だけ失礼しまっす」
「あ、うん」

 と、即決で三行半を突きつけられるかと思いきや、宮戸は白間を引き連れて部室の外へと出て行った。不満爆発、といった表情の白間と、にやにやしている宮戸の対比はまさに百八十度。わけがわからん。
 二人の会話はよく聞こえないが、きっかり二分で中へと戻ってきた。表情は先程と変わらず、しかし、一層浮かんでいた感情が強まったような気もする。

「はいっ、わたしの勝ちー。六美っちは今度わたしに奢りっすよー」
「うう、またもや都に敗れるなんて……」

 はっきり聞こえる声で、勝ち、負け。二人はそんなことを言った。

「あ、あの宮戸しゃん。勝ちって、なんでちょう?」

 あまりにも混乱してしまったせいか、舌足らずと化してしまった。しかしそれを悔いる暇も、理性も、今の僕にはひとかけらも残されていない。

「実はですねー。六美っちとひとつ賭けをしておりまして。 『二人同時に告白をしたら、部長はどうするか?』です。失礼だとは思っていたんですが、ついつい。ごめんっす」

 果たして真実は、あっさりと吐露されるのである。













「んー、六美っちー、初めから全部隅から隅まで話しちゃってもいい?」
「都、聞くのは野暮。ここまで来て、説明しないわけにもいかないでしょう?」

 諦観を帯びた表情で、白間が許可を下す。それは予定調和の出来事だったらしく、間髪入れずに宮戸が語り始めた。

「最初は、六美っちから相談を受けたのが始まりなんです。

 『部長が好きなんだけどどうすればいいかな』って、ありきたりな恋愛相談でした。まあ、わたしに聞いてくるくらいだから、随分と切羽詰ってたのかもしれないっすね。
 でも困ったことに、相談された側のわたしも、何を隠そう部長にふぉーりんらぶるぁぁぁだったのです!」

 最後の唸り声みたいなものはなんだろう。話の流れよりも、その余計なことが気になって仕方がない。許せ、性分なのだ。
 とまあ、とにもかくにも、今の説明で多くの謎は解けたわけだが。
 彼女たちは勝負をしていた。それは「どちらが意中の人を射止めるか」ではなく、「どちらの予想が的中するか」だった。
 しかし、前提には「桜井宗一は選べない」がある。僕という個人を見極めた上でないとその条件は用意されないのだが、いやはや、よく見ているもんだ。少し悲しいけど。

「わたしがそう言うと、六美っちが目をぱちくりさせるんです。なんでと訊いてみたら、「まさか都がそんな年相応の行事に興味があるなんて!」とか言うんですよ。失礼極まりないっすよねー、自分の事は棚に上げてー、ぶーぶー」

 語り部はそのことを未だに不満に思っているらしく、唇を尖らせている。……はい、口に出さなかっただけで、正直僕も驚いたクチです。だって、だって、ねえ?

「この時感じた不満とか恨み辛みネコミミをすべて吐き出したとすると、三日三晩は帰れなくなるので話を進めるっすねー」
「そこまで!?」
「あはは、やだなぁ、冗談っすよー」

 ……目が笑ってないような気もするが、きっとそれは弱気になってしまった僕の脳が見せる幻なのだ。

「……わたしも都も、部長と同じくしてこの部活が大好きなので、青春時代のほろ苦い色恋沙汰で空気が気まずくなるのは御免蒙りたかったんですよね。
 さて。そうなると、わたしたちはどうすればいいか? これが次の課題になります。出来れば現状維持が好ましいで合意はしたものの、互いの想い人が同じであることを知ってしまったので、いつもどおりはちょっと辛いものがあります。だからと言って、どちらかが諦める、身を引くなんて、それは愚かな選択です。
 そしてわたしたちは徹底的に話し合いました。どうすれば現状を打破出来るのか、互いに納得する案を捻り出せるか。
 でも三日ほど経っても、それを立案することは出来なかったんです。当然ですよね、あることを失念していたんですから」

 それは何なのかと訊ねたいところだが、今の僕は傍聴者に他ならない。黙って、彼女達の弁に耳を傾け続けることとする。

「引き伸ばしても意味が無いので、率直に言いますが、ズバリ『部長は優柔不断』という事実です」

 ああ、やっぱりぃ。
 確かに僕は「ショートケーキとモンブランどっちがいいか」で一時間悩んだこともあるが。……どこから見ても優柔不断です。ありがとうございました。
 優柔不断は、ひっくり返せば「どっちも捨て切れない」精神に他ならない。断腸の思いで片方を切り離すものの、すぐに惜しくなってしまう。あわよくば両方とも、とまではいかないが、両方あればいいなあとは心のどこかで思っているのである。

「それを念頭において議論を再開すると、今まで停止していた懸案事項が次々と解決していきました。そして、一つの結論に至るわけです」
「そうっす。それが、わたしたちの賭けです」
「で、でもさ、二人とも本当にそれでいいの? けして世間的には褒められた事じゃないしさ。よくわからないけど、女の子ってそういう二股みたいなのは嫌悪の対象だろ?」
「まあ確かにそうですが、都ならいいかなーって」
「うい、わたしもどっかの見知らぬ女の子ならともかく、六美っちなら暮らし安心っす」

 でも。ああ、でも。それでは。ああでも。
 便宜上に過ぎない逃げる為の言葉が出そうになっては消えていく。いざ実際臨んでみると、プレッシャーは段違いだ。僕が押し貫き、望んだ展開なのに。

「もーぶちょー。腹括ってくださいよー。せっかく二人でいろいろと頑張ってきたんですからー」
「そうです。こんなところでまで優柔不断さを発揮しなくてもいいんです」
「うーん……」

 自分で招いたこととはいえども。まさかのまさかにまさかだ。

「あー、ほら六美っち。部長ってば鈍感銀河帝国の皇帝だからさ。もっかい言う必要あるんじゃないかな」
「……気は進まないけど、まあ、仕方ないかな」

 ついに僕のそれは地球に収まりきらず、宇宙規模にまで広がってしまったようだ。そこまで鈍くはないと思うんだけどなあ。
 軽く思考を現実から逸らしていると、二人が僕の前に立ち並んだ。な、なんだろうか。す、砂にでもされるのだろうか。ちょっとドキドキ……じゃなくて。

「そいでは部長」
「心して聞いてくださいね」

 なんだ言葉責めか、それはそれで―――

『好きです』

 ああ、現実は厳しいなあ、このやろう。













 翌日のことである。
 起床時にモノローグと共に普段通りの準備をし、モノローグに沿って学校に向かいハッピーエンドとなるのがセオリーだが、僕はそういった予定通りにしてたまるものかと間違った対抗心を働かせ、最短の通学路ではなく、わざわざ遠回りの道を選んでいる。偶然出会ったここらに住んでいる友人の一人は「なんでいるの?」と訊いてきたので、「若さゆえの反抗」と応えておいた。きっと挙動不審な奴だと思われただろう。
 なんというか、気恥ずかしさがある。昨日は気分がやや高揚していたのも手伝って結果的には大成功だったと言えるが、昂ぶりが治まって落ち着いた今日になって、一気に不安が押し寄せてくるのだ。
 本当にこれで良かったのか。
 足りない頭で知恵熱を出しそうなほど考えてみるが、改善案と呼べるようなものは鎌首すら出さない。やはり頭が足りない僕では無理な試みだったのか。

「あ、ぶちょーだ」
「部長、おはようございます」

 しかも避けようとした障害が二つセットでいつもと違う通学路で待機していらっしゃった。なんでだろう。僕の思考回路はそんなに読みやすいですかそうですか。

「ふふん、部長の考えてることなんて1+1が2になるってくらい確実っすよ」
「1+1が2にも3にも4にもなる、それがダブルスだ、宮戸! さあ、あの朝陽に向かってダッシュだ! 無論お前だけ!」
「イ、イエッサー! ……ってわたしだけ!?」
「安心しろ、僕と白間はそれを二秒だけ見守ってから学校に向かうから」
「の、望むところだーっ!」

 いつものように噴火すると思ったが、今日は違う角度からの接触を試みたらしい。望むところのようだ。

「じゃあ白間さんや、学校に向かおうか」
「そうですね。都の青春の邪魔は出来ませんし」
「あいやしばらくちょいと待て待て待てーっ!」
「なんだ、走らないのか」
「走らないっすよ!」

 がるるがるると朝っぱらから元気だなぁ。夜明けのローテンションを持続させる才能を持つ僕に、その秘訣を教えてもらいたいものだ。

「でも部長もつれないっすよねー。昨日はあんなにはっきり言ったのに、今日になってこそこそ違う道を邁進とは」
「うぐ」
「今日になって突然冷静になって慌てふためいた、ってところでしょう。なんたって部長だから」
「うぎぎ」

 反論、不可。桜井、馬鹿。桜井、永久、阿呆、頂点、君臨。

「……まあ、今日はこれで許してあげましょか」

 そう言って小悪魔的に微笑むと、宮戸が悶絶している僕の右腕を絡め取った。思わず背景に「!?」の写植がされそうな程、僕としては驚いた。

「それじゃあわたしはこっち」

 続いて白間。僕の左腕をがっちりホールド。これで僕はロズウェル事件さながらに拘束されたわけである。行き先はきっとエリア51だろう。人類と宇宙人のファーストコンタクトを日本で味わうとは思ってもいなかったわけで、少し感動。
 ……あかん、あかんよ僕。思考回路がやばいよ。

「……ってキミタチ。僕をどうする気なのでしょう」
「もうそろそろ時間も危ういですし、とっとと学校に向かいましょう。今ならまだ歩いても間に合いますから」
「いやまあそうなんだけどさ、この状況になる意味はないのではないでしょうか」
「捕まえとかないと部長逃げますもん」
「ひぃっ、に、逃げません!? Catch me,If you can! Catch me,If you can!」
「開口三秒で言ってることが矛盾してますよ」

 ひぐぅ。

「さ、それじゃあ観念してもらいましょうか。こっちは二人いるんですし」
「いやー! 社会的に死んじゃうー!」













 その後は多くの生徒達に見守られながら(好奇と妬みの視線に晒されながら)校門を潜り、友人達にテンプレを投げかけられ(どんぶりかコノヤロウスケコマシいてまえ人類の恥晒しが等)、丸一日を煉獄辺りで過ごした気分になった。

「部長、枯れてますねー。朝とはまるで別人なり」
「まあ大体何があったか予想はつくけど」

 放課後の部室で潰れている僕を見て、宮戸は首を傾げ、白間はふふふと笑った。君たちのせいです、と言えれば楽なのだろうが、それはNGワードに他ならない。今のステージは望んで立ったものでそれ相応の痛みは覚悟しているはずだし、不満を言う方がどうかしているのだ。

「いや、まあ、初っ端からコレで体がついていかなかっただけです。徐々に慣れるとは思うけど」

 まあ、嫌でも慣れなければならない。身体的なダメージはなかったが、精神ステータスはまっかっかなのだ。レベル上げが必要だ。経験値はこれからの長い人生で積まねばならない。
 さて、今日はどうしようか。青い春はベン・ジョンソン並の疾走で僕らを置いていくので、全力で見失わないようにせねば。
 ふと、開きっ放しの窓から入り込む風がカーテンを揺らす様子が目に入り、今日は二人に任せてみようか、と考え付いた。

「そうだ、うん、そうしよう。今日は二人が考えてみてくれ」

 たまにはそういうのもいいだろう。部長だって部員から何かしら学ぶ必要があるのだから。

「わ、わたしたちが、っすか」
「責任重大ですね。時間は有限ですし」

 白間はそう言うものの、さほど重圧を感じていないようだ。清廉な笑みを称えている。その下では腹黒いことを考えていそうだが。

「それじゃあ今日は遊びに行きましょうか」
「おおっ、真面目な六美っちの綺麗な形をした唇から意外な言葉がっ」
「そこ、わざわざそういう表現をするな」
「あら、そういう表現、って何なんでしょうかね」
「何なんですかねー」

 ぎゃふん、墓穴を掘ってしまった。いつものように突っ込んだだけなのに。
 ……さて、墓に入ろうかな。

「……じゃあ、今日の部活は、そうしようか」
「お、部長もイケるクチっすね」
「ふ、悩んでいても脳細胞が死んでいくだけだと気付いたのだよボーイ」
「わたし、一応女なんですけどー」
「じゃあ行きましょうか部長」
「Yes,I am a pen!」
「無視!?」

 英文には誰も突っ込まないのだろうか? むしろ突っ込んでくれないと本領が発揮されませんよ?

「それじゃーれっつらごーごー」
「ふるっ!」

 僕はもう駄目だと思った。なんかもういろいろと。













 青の群れの中で、僕らは徒歩から駆け足へと変わった。